YMOのアシスタントとしてキャリアをスタートし、サザンオールスターズ「KAMAKURA」、桑田佳祐「Keisuke Kuwata」、布袋寅泰「GUITARHYTHM」といった名盤に、マニピュレーター及び共同プロデューサーとして参加した藤井丈司氏。
最近では「YMOのONGAKU」や「渋谷音楽図鑑」といったポップスの魅力に迫る本を多く出版したり、日本シンセサイザープロフェッショナルアーツ(JSPA)理事として「シンセの大学」といった音楽クリエイター向けセミナーを開催したりと、今なお精力的な活動を続けています。
そんな日本のエレクトロポップ黎明期の先駆者的存在である藤井氏に、ビンテージと呼ばれる当時のアナログシンセサイザーやサンプラーなどを駆使した当時の音作りの秘密、そして最近のソフトウェアシンセサイザーについてなど、多岐にわたってお話を伺いました。
アシスタント時代、最も印象的だったシンセは?
Rock oN「藤井さんがマニピュレーターのアシスタントを始めた80年代当時使っていて一番好きだった機材って何でしょうか?」
藤井丈司 氏(以下、藤井 氏)「やはりProphet-5ですね。僕は1980年にYMO のアシスタントになったんですけど、ちょうどその頃はYMOが『パブリック・プレッシャー』をリリースして、『増殖』を作り始めていた時期でした。1979年にProphet-5が導入されて、多くのシンセがモノフォニックだった時代から5音ポリフォニックになったので、ピアノ的な和音の積み重ねや4声で動くストリングスのような演奏が、同時に弾くことが出来るようになったわけです。
そして何より変わったのは、それまでのPolymoogとかKORG PS-3100といった、単純にオシレーターにフィルターを通しモジュレーションして作っていく時代から、Prophet-5になってノイズを混ぜてレゾナンスをかけた上にモジュレーションを組み合わせることで、より複雑な音を作っていくことができるようになった事です。現実世界をシミュレーションした音を作る段階から、言葉では形容しがたい抽象的な音を作る時代に移っていったという印象ですね。」
Rock oN「アルバムの曲も如実に音の雰囲気が変わっていきますよね。」
藤井 氏「ファーストやセカンドアルバムに見られる、シンセサイザーを使って脱構築した新しい音楽を作る方向性から、アルバム『BGM』では、徐々に音色そのものが音楽の軸となる表現方法に変わっていったので、そういう変革期にアシスタントとして参加できたことは刺激的でしたし、その後に大きな影響を受けました。
その頃の音の特徴でもう一つ言えるのは、Prophet-5単体ではなくRoland SDE-2000(デジタル・ディレイ)とRoland SBF-325(ステレオ・フランジャー)といったエフェクターとのセットで、あのサウンドが生まれているということが大きいですね。」
YMOの功績とは・・・
Rock oN「YMO といえばシンセサイザーだけでなく後期になるとLMD-649やEmulatorといったサンプラーも登場しました。アルバム『テクノデリック』が有名ですが、『以心電信』の印象的なブラスの音もEmulatorだというのも藤井さんの著書『YMOのONGAKU』を読んで知りました。」
藤井 氏「そうですね、ああいう吹奏楽器のサンプル音も鍵盤で演奏できるようになったのは大きいですね。特にあのトランペットの音は矢野顕子さんも褒めていました。」
Rock oN「有名な『戦場のメリークリスマス』で使われたメロディーの音も、ワイングラスを何かで叩いたサンプル音で、Emulatorのプリセットですよね。」
藤井 氏「そうです。確かYMOの「邂逅」でも使われたような記憶があります。アナログ・シンセのオシレーターの組み合わせでは作れない、それまでに無かった良い音でした。」
Rock oN「今だとソフトウェアシンセを買うと、プリセットに最初から何千音色と入ってきますが、当時はそんなに多くないですし、そういう意味では自分たちで音を作ることや音を取り込んでいく楽しさがあったんでしょうか?」
藤井 氏「当時はサンプリングする事が、面白くてしょうがなかったですね。それも楽器のサンプリングをあまりせずに、ドアの音とか工場の音といった現実音をサンプリングして、ポップスの楽曲に取り込んでいくという、今までにない現代音楽のような試みをしていましたから。広いスパンで考えてみると、常にそれまでになかった手法や機材で新しい音楽を作ったというのが、YMOの一番の功績だと思います。今までにあった音楽の構造を引用して新しい構造の音楽を作ること、つまりシンセを用いた脱構築の手法が1stアルバムでスタートし、2ndで大きく花開き、『BGM』ではProphet-5とTR-808でニューウエーブに舵を切り、『テクノデリック』では現実音をサンプリングして、楽器ではない音で音楽を作ることになっていった。常にそこには新しい機材とともに、新しい脱構築の音楽を実現させていく。特に『テクノデリック』というポストモダンの代表作のような作品ができたのは、サンプラーの登場が大きな役割を果たしていたと思います。」
Rock oN「アナログシンセの非常に整った音だけでなく、現実音のような倍音の整っていない音色を楽曲に取り込んでいったんですね。」
藤井 氏「そうです。例えばドアのストッパーやゴミ箱を叩いた音をスネアの代わりに使うことは、それまでのポップスのビートとは大きく違う印象を与えたと思います。
『BGM』で、TR-808をドラムに使ったときもこんな音がドラムになるんだという驚きがあって、それがのちのヒップホップに影響を与えていくのだから、YMOというのは単にテクノポップだけでなく、『YMO』という一つのジャンルを作ったのではないでしょうか。」
最近のソフトウェア・シンセサイザーについて
Rock oN「そういった当時のアナログ系のシンセサイザーも、最近ではソフトウェアという形でエミュレートされていたり、ハードウェアのクローン機が復刻されたりもしています。そういった過去の機材に人気があって、今でも発売されていることはどう思いますか?」
藤井 氏「2010年代の後半になると、なかなか斬新なサウンドを持ったシンセサイザーというのは出てきてないですね。それと実機はなかなか手に入らなくても、ソフトウェアだと割と手頃な値段で簡単に買えるという利点もあると思います。簡単にパソコンで使えたりするのは便利ですよね。」
Rock oN「たしかにソフトウェアシンセっていうのは、ハードウェアよりも個体差がないし、誰でも手軽に安価で手に入るというのは便利ですよね。」
藤井 氏「はい。しかし、実機のハードウェアが持つ音の質感とかオリジナリティーというのは、確かにあると思いますね。
僕もフェアライトⅡを使っていて、ディスコンになった90年代以降も、テイ・トウワさんの『Batucada』とか布袋さんの『POISON』などで使っていました。
フェアライトⅡはビットレートが8ビットの上に、位相特性がかなり特殊なので、中域に固まった独特の音がします。それを他のサンプラーにリサンプリングしても特性が変化するし、新しいサンプラーのダイナミックレンジに追従して、オリジナルとはずいぶん違う音になってしまう。フェアライトは2000年頃に処分してしまったのですが、そのあとでテイさんに『ちゃんと音を取っておかないとダメですよ』って言われて(笑)。確かにちょっと勿体なかったかなって思いましたね(笑)。」
Rock oN「最近のソフトウェアのシンセサイザーで気に入っているものはありますか?」
藤井 氏「最近でもないですけど、MassiveとかSylenth1、Addictive Drumsは大好きでよく使っています。特にMassiveを聞いた時はそれまでのハードウェアシンセでも、エミュレートのソフトシンセでも出ない音がとうとう出たなと思って、とても印象に残っています。マクロで、一つのつまみで同時にさまざまなパラメーターが変えられるのには、驚きました。それ以外だとAvengerも好きですね。」
80年代の名盤について
Rock oN「藤井さんがMassiveやAvengerを気に入っているというのは納得できます。サザンオールスターズにしても布袋さんの作品にしても、藤井さんが参加されていた作品には、シンセサイザーやサンプラーがとても大胆で刺激的な音が常に入っていた印象があります。」
藤井 氏「それはもうYMOからの遺伝ですね(笑)。機械と格闘する3人を僕も横で見させてもらって、こういう風に新しい音楽を作っていくんだと、目で覚えていきました。
その後に桑田さんや布袋さんのレコーディングに呼ばれた時も何が求められているかはあまり考えずに、でも新しいことをやらなきゃカッコ悪いだろうというのが自然と体に染みついていたんだと思います。」
Rock oN「藤井さんがマニピュレーターで参加されたサザンの『Computer Children(1985 年発表、アルバム『Kamakura』の1曲目)』を聞いた時はスクラッチとかSEがふんだんに取り込まれて、当時聞いて驚きました。」
藤井 氏「そうですか(笑)。あのイントロのドラムもフェアライトなのですが、位相が悪くて低域がないんです。だから、曲を聞いた知り合いのエンジニアから、最初はアナログ・プレイヤーが壊れたかと思ったと、よく言われましたね(笑)。当時は何も考えずに作っていましたけど、今考えるといろんな意味で、みんな驚いたんだろうなと思います。音悪いし、あんなイントロなかったし(笑)。」
Rock oN「サザンのレコーディングの時、桑田さんから細かいディレクションがあったりしたんですか?」
藤井 氏「桑田さんは、あまりシンセのことはよくわからないから、好きにやってくれって感じでしたね。
でもドラムの音には、もっとグッとくる感じがいいとか、こだわりが強かったと思います。そういえば、最初に参加した『ミス・ブランニュー・デイ』では1番と2番の間で、マルチトラックレコーダー自体を手で強引に動かしてスクラッチさせたりしました。桑田さんは笑っていましたけど、周りの方はとてもビクついていました。今思うと、あんなことはやっちゃいけないです(笑)。僕がもし当時プロデューサーだったら、プログラマーの若造が、くわえ煙草でマルチレコーダーをゴシゴシやってたら、ぶん殴りますね(笑)。」
Rock oN「『ミス・ブランニュー・デイ』というと、イントロからシーケンサーのシンセ音が印象的ですよね。」
藤井 氏「あのイントロは、原(由子)さんが譜面に書いたものを、僕が打ち込んだんです。そして付点8分と8分音符のピンポンディレイをかけて、あのようなサウンドになったんです。当時はまだシーケンサーもモノフォニックで、シーケンサーがポリフォニックになったのは、僕は『Keisuke Kuwata』(1988年)からですね。」
Rock oN 「80年代の藤井さんの参加作品というと布袋寅泰さんの『GUITARYTHM』も有名ですよね。」
藤井 氏「『GUITARYTHM』はすべて、布袋さんのセンスと設計図の緻密さです。オーケストラから始まって、カットインしてギターとシンセベースで『C’mon Everybody』に行くという流れも、最初から設計図にあって。曲間のSEもこういう風にしたいっていうイメージが最初からありましたし、具体的にこういう音を作ってほしいというリクエストも、いくつかありました。同じ時期の作品ですけど桑田さんとは正反対で、二人ともとても優秀なプロデューサーですが、スタンスはまったく違いましたね。」
音楽制作のヒントや、YMO誕生までの歴史的経緯も詰め込んだ『YMOのONGAKU』
Rock oN「最近藤井さんが出版された『YMOのONGAKU』が大変好評で話題となっています。単にYMOの伝記ではなく、レコーディングの過程やトラックシートや譜面までも載っていて、音楽制作のヒントになりうる画期的な本だと思いました。」
藤井 氏「ありがとうございます。今までにない音楽本の形ってどんなのだろうと考えていたら、そういえばトラックシートって、スタジオでは当たり前に見てたけど、あまり本には載ってないなって思いついたんです。YMOのトークイベントでもモニターに映し出したら好評だったので、じゃあ載せてみようってことになりました。」
Rock oN「それとYMOが結成されるまでの流れも詳しく書かれていますよね。」
藤井 氏「どうしてYMOというバンドが結成されるに至ったのかという、これまで謎な部分も書きたかったんですけど、それをどの時点から書こうかっていうのが難しかったんです。細野さんの生まれた日から始めるのか、とか(笑)。
だけど、この本を書くきっかけになったYMOのトークイベントと同じ時期に、「細野さんのトロピカル3部作を聞く」というイベントをやっていたんですね。そこで『トロピカル・ダンディー』のライナーノーツに、細野さん自身がすでに加工貿易うんぬんっていうことを書いている事を知り、そうか、この時点でもうYMOは始まっているのかと思って、書き出しはこのあたりだなと見当をつけました。」
Rock oN「著書の中では富田勲さんについても出てきますよね。」
藤井 氏「YMOの前に、日本でシンセサイザーを使った人は誰がいただろうと考えると、当然富田勲さんが『月の光』で世界的なヒットを作ったということに突き当たります。富田勲さんはあの作品を生み出す前に、すでに映像音楽の作曲家として大きなキャリアがあったのにもかかわらず、私財をはたいてモーグの大型モジュラーシンセを購入し、一年半かけてシンセサイザーだけのアルバムを自主制作したのが『月の光』です。それをアメリカに売り込みに行って、グラミー賞のノミネーションまでされるというのが、本当にすごいと思います。富田さんには生前僕も可愛がってもらって、ある時ご本人に伺ったことがあるんです。『どうしてシンセサイザーで音楽を作ろうと思ったんですか?』って。そうしたら『いや、新しいものがあったからやってみたかったんだよね』と、自然体で話していらしたんですよ。その新しいテクノロジーで未知の音楽を作る姿勢がYMOとも繋がるような気がして、富田勲さんの話から本がスタートすると面白いかなと思ったんです。」
Rock oN「『クラフトワーク、YMO、ジョルジオ・モロダー。ドイツ、日本、イタリアという第二次大戦の敗戦国からエレクトロポップミュージックの巨匠が生まれたのは偶然だろうか』っていう文章が印象的でした。」
藤井 氏「この3つの敗戦国、原爆や爆撃で何もなくなった国から、科学を振興して立ち上がっていくというのが、日本では富田さんもそうですけど、漫画家の手塚治虫さんやアニメの宮崎駿監督も似た気質を持っている気がするんですよね。そこにはアニメーションやアナログ・シンセサイザーといったものを通じて、戦後の日本を科学文明で再興するんだというテクノロジーに対する篤い信頼があった。お金になる、売り上げが見込まれるといった事よりも、自分が見た夢をまだ始まったばかりのテクノロジーで現実のコンテンツにするんだという気概を感じます。現代のポップスやコンテンツに欠けているものは、こういった目新しい新奇なものと自分の着想を重ね合わせる想像力と創造力なのかもしれませんね。」
Rock oN「本日はありがとうございました!」
シンセサイザーやサンプラーといった機材の話に留まらず、最近のソフトウェアシンセサイザーや電子音楽の歴史など多岐に渡った話を繰り広げてくれた藤井氏。
お話の中でYMOのアシスタント時代に培った新しい音楽を作り出す姿勢を見たことがマニピュレーター・音楽プロデューサーとしてその後数々の名盤制作を手掛けていった原点だということがわかりました。
そのYMOから受け継いだ新しい音楽を作るという遺伝子を、今度は新しい世代に繋いでいきたいという使命感も、藤井氏の言葉からひしひしと感じました。たしかに「YMOのONGAKU」にはどこか袋小路にいるように感じる現在の音楽シーンにおいて、新しい音楽制作に繋がるCue(ヒント)が詰まっている気がします。
皆さんもぜひ藤井氏の作品や書籍、セミナーを通じて、音作りや音楽制作の極意に触れてみてはいかがでしょうか。
出演イベント情報
■イベントタイトル
「シンセの大学」作曲セミナー 開催決定!
■日時
9/24(火)・10/15(火)
※開演は共に19:00〜
■ゲスト
佐藤純一(fhana)
■場所
赤坂MI7
※詳細はSNSで8月中に告知します!
Official Twitter
https://twitter.com/fujiitake
Writer.Miyazaki